森鴎外のお墓 太宰治のお墓 中東文化センター 三鷹市星と森と絵本の家 近藤勇のお墓 中村歌右衛門のお墓 川合玉堂のお墓
熊谷守一のお墓 ウバ玉虫 江戸川乱歩のお墓 田河水泡のお墓 向田邦子のお墓 岸田劉生のお墓 与謝野晶子のお墓 与謝野鉄幹のお墓
長谷川町子のお墓 北原白秋のお墓 松岡映丘のお墓 三島由紀夫のお墓 岡本太郎・敏子のお墓 岡本一平のお墓 
岡本かの子のお墓 新渡戸稲造のお墓

なんとも怖い顔です。
けど、どうしても目の奥を覗き込んでしまいます。




夏休み中だったので、
展示室の入り口に小学生のために、展示品に関してのクイズの用紙が置いてあった。 
麦はそれを解きながら見学したのでいつもより食い付きが良かった。
全部の展示を観終わった場所で、民族衣装を着て撮影出来たり、
バラなど難しい折り紙を教えてもらえるコーナーがあって、二人は折り紙に挑戦した。
僕は二人を待つためにロービーのソファーに座って庭を眺めたり、
ボケーっとしてたりしたが時間を持て余して、
もう一度気になった展示品を見に行った。
中近東文化センターを出る頃には午後2時を回っていた。

お腹が減った。

よし!こんどこそ大山家へ行こう!つけ麺中盛を食べるぞ!
方向的には少し戻るようになるが自転車をかっ飛ばす。
大山家へ着くと、お昼からだいぶ経つのにまだお客が並んでいた。
残念だが諦めよう。
みんな無口になった。 これからどこへ行くの?
と麦が聞いてきたが、頭の中のひらめきを話さなかった。
三鷹市大沢にある東京天文台内の食堂へ行くことに決めていた。

ICU国際基督教大学の入り口、富士重工の工場を通り過ぎて東八道路を渡ってさらに南へ坂を
少し下ると東京天文台だ。  正門を入って守衛さんに食堂へ行きたいのですが
と尋ねると、守衛さんは時計を見て、もう終わってしまったと残念そうな顔して言った。
一般の人も利用出来る食堂は午後1時半までの営業だそうだ。
味はともかく天文台の食堂でランチなんてちょっといいかなあと思ってたのでがっかりだ。
この国立天文台の中に、三鷹市が運営する「三鷹市星と森と絵本の家」というのがあります。
天文台の森の中にある大正時代の建物を保存活用し、
広い庭も使って、絵本の展示や絵本を楽しめるということです。
入ってみたかったけど、今回は時間が無いのでパス。そして
今日も保育園に行ってるきかん坊の凜ちゃんを連れて来てあげよう。

三鷹市星と森と絵本の家

三鷹市大沢2−21−3 国立天文台内 電話 0422-39-3401 

開館時間: 午前10時〜午後5時(入館4時30分)
休館日: 火曜日、年末年始



食べれなくってゴメンと二人に謝り、すぐ近くの江川亭の支店に入った。
本店は小金井の東八道路沿いにあって有名なラーメン屋さんだ。
つい先日本店でつけ麺を食べたばかりだ。

僕は油そばの大盛を注文したが、美味しいけど量が少なくがっかりだった。
普通盛を麦が食べたが、こちらも小学生でも満足出来ない量だった。
ぜひ改善してもらいたい。

多磨霊園は後回しにして、先に龍源寺へ向かった。
ここには新撰組局長・近藤勇が眠っている。
人見街道沿い、野川を渡った右側にある。 寺のすぐ前に近藤勇の生家跡があり、
道を隔てて近藤勇の道場「撥雲館」の跡がある。

龍源寺は質素な感じがする。。

いろんな話へ

夏が終わろうとしている

漫画家 長谷川町子のお墓

サザエさんの原作者。 
今は本のサザエさんよりもテレビアニメのサザエさんの方がイメージが強い。
サザエさんやいじわるばあさんの本は子供の頃、散髪屋さんで読んだかなあ。
お墓は僕の思っていたイメージとはまったく違いました。 すっきりシンプルないいお墓でした。
町子先生とはお会いしたことはありませんが、真面目で清廉潔白な方だったんじゃないでしょうか。

作家 向田邦子の墓

大好きだったテレビドラマ 「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの脚本家
綺麗な人だったなあと僕の頭の中に浮かんできていた向田邦子さんの顔は、
いわさきちひろさんとかぶっていました。 無論、向田さんも美しい人です。 

多磨霊園 正門側から園内を撮影

府中市・小金井市をまたいだ位置にあります。
東京都内では一番大きな霊園で東西・南北それぞれ約1キロぐらいの距離があります。
昭和15年ごろに少し拡張されているので、面積は約128万平方メートルあるそうです。
ここには多くの著名人が眠っています。
今回は時間もあまりないのと、小学生の麦にもわかる人と僕が見てみたい人を
ピックアップして見て回ることにした。

霊園内は26区画+外人区となっており細かく番地が付いている。

まずはコピーしてきた区画マップに訪ねたい人が眠る場所を書き込んだ。
一番最初に選んだのは夏目雅子さん。 小学生の麦にはどんな人だったか判らない。
自転車で探しながら教える。
この辺りと思う場所をぐるぐる回るが見つけられない。
これは思ったより大変かもしれない。
僕だけ訪ねたいお墓は後回しにして、なるべく麦が訪ねたいお墓を優先しよう。

2区画で眠っている夏目雅子さんと甘粕事件の甘粕正彦はパスする。
日本画の河合玉堂のお墓を探していると偶然に中村歌右衛門のお墓が見つかった。
そしてその並びに川合玉堂のお墓もあった。

8月も終わりに近いある日、僕ら家族は近くにある著名な人たちのお墓を自転車で巡ることにした。


まず最初は太宰治と森鴎外が眠っている三鷹駅近くの禅林寺。

11時頃に禅林寺に着いた。 静かだった。 山門をくぐったすぐ右側の斎場でお葬式が始まるところだった。
ラフな格好をした僕らはなんとなく気まずい雰囲気で山門をくぐって墓へ向かった。

教育者 新渡戸稲造のお墓

5千円札の肖像ぐらいしか知らなかったが、国際平和に尽力をつくした人だった。






今回のお墓巡りはここで終わりです。
多磨霊園にはまだ訪ねたいお墓がいっぱいあるのでまた来たいと思います。

続く

今日、最後に選んだ、新渡戸稲造のお墓へ急いだ。
まだ見ておくべき人はいっぱいいるが、また後日来よう。

父一平のお墓は太郎の作品なのに、なぜ母かの子のお墓は観音様なのかと思いましたが、
かの子が亡くなった時には一平が存命で、その時の一平の、かの子に対する想いと感覚だったのでしょうか。

  岡本一平 左 母 岡本かの子のお墓

作家 三島由紀夫のお墓

ここへ来たのは30年ぶりぐらいだろうか・・
また豊饒の海を読み返そう。 

詩人 北原白秋のお墓

なんともダイナミックなお墓だ。

左側が歌人 与謝野晶子のお墓 右側が歌人 与謝野鉄幹のお墓
二人仲良く対等に並んでいます。

こういうところをぐるぐる回りました。

漫画家 田河水泡のお墓

のらくろの作者として有名だが、今の小学生にはピンとこないらしい。
世の中そんなもんです。

小説家 江戸川乱歩のお墓

僕なんかは、おおー!って感じ。 
麦は学校の図書館で怪人20面相を読んだらしいが面白くなかったと。 なんだそれ!


写真も撮ってさあ行こうとした時、おじさんが墓を乗り越えてやってきた。
どうやら墓マニアのようだ。 
僕らの姿を見かけて話がしたくって急いで近づいてきたのだった
おじさんの話は面白かったが、日暮れが近く急いでいたので僕らはそわそわした。
おじさんは僕らのそんな気持ちが判っているから、逃がさないように息継ぎもそこそこに話を続けた。
暗くなったら危ないよ!なんて自分で言ってるのにおじさんはなかなか話を止めない。
このままではだめだ。 僕はゆっくりと自転車を押して少しずつフェードアウトした。
二人も僕に続いた。 おじさん、ごめんね!

おじさんの言ってたことで、お墓を観るとその人の人柄がよく判るという。
とくに吉川英治のお墓はべた褒めだった。
何日も探して判らないお墓があった時には、多磨霊園に棲むホームレス達に聞くそうだ。
彼らはよく知っているという。

画家 熊谷守一のお墓 なんだか自然な感じがします。

僕の好きな画家のひとりです。
旧居に設立されたした豊島区立熊谷守一美術館もこじんまりしていい感じです。


やぶ蚊が多く、あちこち刺される。防虫スプレーを身体に塗るが効かない


日本画家 川井玉堂のお墓

美術館などで時々作品には出会ってました。
でも青梅の御岳にある玉堂美術館へはまだ行ったことがありません。


園内のそれぞれの区画の角に 区画番地マップが建っていて、最初は見方が判らなかったが
なんとなくわかってきた。 区画内には1種2種(どういう区別なのか判りません)とあり、
それぞれ色分けしてありそこから末尾の2番目の番号(側)を探せばいい。
側は並びなのでその列を一つずつ見ていけば見つかります。
番はどこからが1番なのか判りにくいです。
訪ねたい著名人のお墓の区画だけ判っても探すのは非常に困難です。
たとえば、川井玉堂ならこんな感じです。
2(区画)−1(種)−13(側)−8(番)となっています。


お墓を探し出すということが楽しくなり次へと向かう。だいぶ日が傾いてきた。先を急ごう。

4代目・5代目 中村歌右衛門のお墓

恥ずかしながら歌舞伎を観たことがありません。
これを機に歌舞伎を観たいと思います。

僕は森鴎外・太宰治・近藤勇のお墓はずいぶん前にも訪れたことがある。
その頃は小説を読んだりして、行ってみたいという気持ちで来たからグッと来るものがあった。
今回はお久しぶりですという感じ。 かみさんはいいとして、小学生の麦はまだピンとこないようだ。
いずれいろんな場面で出会うと思うので、その時にああと思い出すかもしれない。

近藤勇の生家跡と道場(撥雲館)跡

この時の空を撮ってみた。

龍源寺 三鷹市大沢6-3-11 

森鴎外の墓
禅林寺の裏手のそれほど大きくない墓地の中にある。
何か凛とした感じのお墓だ。
一礼して写真を撮らせてもらう。

黄檗宗 霊泉山 禅林寺

三鷹駅南口下車 徒歩10分/バス八幡前下車
〒181-0013 東京都三鷹市下連雀4-18-20 

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岡本太郎のお墓

今回、一番訪れたかったお墓です。
太郎さんの作品は僕の心に響きます。
太郎さんのお墓の右側にちょこんと敏子さんのお墓が建ってます。


川崎市岡本太郎美術館 いいですよ!

日本画家 松岡映丘のお墓

三島由紀夫のお墓を探していてたまたま見つけた。
有名な画家だが、お墓がなんか寂れていたので違うかもしれないなあと思いつつ写真を撮りました。

洋画家 岸田劉生のお墓

通路側からは松の木があってお墓は見えません。
ひっそりと静かに眠っています。

守一のお墓のそばで、ウバ玉虫が死んでいた。

新撰組局長 近藤勇の墓

墓地入口の案内図

太宰治の墓

今年は生誕100年でクローズアップされていた。


墓巡りが淡々と始まった。
このまま数をこなすだけで終わるのかなあ。

このあと早めのランチをするためにいきつけのラーメン屋さんの大山家へ行こうとしたが
二人はまだお腹が減ってないという。

そんじゃ、先へ進もうか。
大きな道を避け、住宅街の裏道を走りながら多磨霊園へ向かった。
いろんな家がある。 古い家が一軒取り壊されて、そこには2軒の家が建つ。
というようなようなパターンがあちこちにあり、
同じようなデザインの綺麗な新しい家が建ち並ぶ所が多くなった。
そんな住宅街の中、ポツンポツンと味のある古い家がまだ残っている。 
仕事でこんな家に呼んでもらいたいなあ。

路地からバス通りに出ると、そこはちょうどICU国際基督教大学の正門近くだった。
この近くに中近東文化センターがあるのを思い出し、以前から行ってみたいところだったので、
中近東関係の博物館があるからちょっと寄ってみない?と僕は言った。
かみさんと麦はあまり乗り気ではないがとりあえず行ってみようよと押し切る。
中近東文化センターの門のところで様子を見る。 
一般は800円 中学生以下は無料。 三鷹・武蔵野市民は100円引き?
高いから止めようよ。 と麦が言うが、まあいいじゃん。せっかくだから行ってみよう。
受付で市民であることが証明出来る免許証を見せると2名様分で200円いただきますと言われた。
えっ? 100円引きではなくて 入館料が100円であった。
すごく得した気持ちで気持ちよく拝観する。

左右のずれ方は、なんともリアルです。

館内の撮影は常設展示品に関しては、フラッシュをたかなければOKですが、
出光美術館の展示品は一切撮影禁止です。
エジプトミイラの木棺の蓋ですが、色鮮やかです。 ぜひ見に行ってください。

中近東文化センター 東京都三鷹市大沢3-10-31

思っていた以上に博物館は充実してました。
中近東というと大きくひとくくりですが、それを細かく分類して年代別に美術・工芸品が展示されているので
わかりやすく見ごたえがありました。 また故出光佐三氏(出光興産創立者)の全幅のご協力によって開館した
ということもあって出光美術館所蔵の名品の展示ブースもあります。

もうひとつ気になったのが、吉祥寺の井の頭公園の入り口の坂を下ったところにあった、喫茶店「モカ」の
ご主人が集めていたコーヒー関連の美術・工芸品の展示だ。
アンティークの焙煎機やカップ&ソーサーなど興味を引くものがいっぱいありました。
お店の看板なんかも展示してあるので、モカへ行ってた方は懐かしいと思います。
モカの珈琲は美味しく、ときおり珈琲豆も買っていましたが、
いつしかお店が閉店してしまい、店の前を通るたびに残念がっていました。 

そして森鴎外のお墓を右に見て、左奥すぐに太宰治のお墓がある。